2012年3月30日金曜日


4:名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/07/24(日) 13:06:00.05 ID:U537f/DI0

1989年と1995年になんかあったっけ?

今年が一番大変だろ

10:名無しさん@涙目です。(関東・甲信越):2011/07/24(日) 13:07:10.98 ID:pLmmz3HAO

>>4
1989はベルリンの壁崩壊?

41:名無しさん@涙目です。(関西地方):2011/07/24(日) 13:13:05.34 ID:0iq8soP20

>>10
量と質で言えば2011のほうが勝ちだな

46:名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/07/24(日) 13:13:33.70 ID:XSs5ID400

>>41
どう考えてもベルリンの壁崩壊のがやばかったぞ
ゆとり乙

143:名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/07/24(日) 13:30:08.72 ID:36n3s15b0

>>4
これは不味いだろ…
95年は日本で起きた惨事が滅茶苦茶あったろ
ゆとりとかそういうレベルじゃない。
脳に問題がある

526:名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/07/24(日) 14:44:22.82 ID:alPmwceR0

>>4
最近のゆとりは昭和天皇崩御、ベルリンの壁崩壊、阪神大震災、オウム真理教事件も知らんのか

6:名無しさん@涙目です。(関東・甲信越):2011/07/24(日) 13:06:31.69 ID:tfrjn6SwO

まだ半分ちょっとしか経ってないだろ
これからが本当の地獄だぞ

7:名無しさん@涙目です。(秋田県):2011/07/24(日) 13:06:33.02 ID:8ERrYr2v0

東日本大震災にアナログ終了・・・

11:名無しさん@涙目です。(千葉県):2011/07/24(日) 13:07:33.92 ID:S6OvtQZg0

むしろ2015くらいからがたのしみ

13:名無しさん@涙目です。(東京都):2011/07/24(日) 13:07:45.25 ID:FVE5XGnA0

89年と95年って何があったっけ?
阪神淡路、サリン、911、あたり?

76:名無しさん@涙目です。(長屋):2011/07/24(日) 13:16:38.89 ID:boJC0tLs0

>>13
95年はヲタ関連のパワーも凄かったな
アニメゲーム

347:名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/07/24(日) 14:09:20.60 ID:Ms3lVLBt0

>>13
9.11は95年じゃねーだろw
2004年あたり
ちょうど日本が記録的な猛暑年だった年

18:名無しさん@涙目です。(catv?):2011/07/24(日) 13:08:31.88 ID:U+5FS8K80

来年地球滅亡も現実味を帯びてきたな

21:名無しさん@涙目です。(catv?):2011/07/24(日) 13:09:30.76 ID:dMkTNuyg0

むしろあと何が起きれば1989を越えるんだ?

26:名無しさん@涙目です。(東京都):2011/07/24(日) 13:10:23.47 ID:swsPz4Rz0

>>21
崩御か政治リーダーの暗殺クラスの事件

153:名無しさん@涙目です。(内モンゴル自治区):2011/07/24(日) 13:32:30.42 ID:PrgTobYZP

>>21
魔乳秘剣帖二期決定とか?

23:名無しさん@涙目です。(大阪府):2011/07/24(日) 13:09:49.22 ID:dSgtr/nr0

1989年 ベルリンの壁崩壊、昭和天皇崩御、天安門事件
1995年 阪神・淡路大震災、松本・地下鉄サリン事件
2011年 ジャスミン革命、東日本大震災、アナログ終了、なでしこ優勝

36:名無しさん@涙目です。(catv?):2011/07/24(日) 13:12:29.52 ID:OMGfws3U0

>>23
なでしこout
ビンラディンin

121:名無しさん@涙目です。(東京都):2011/07/24(日) 13:24:01.83 ID:VNrf2doq0

>>36
むしろラディンをわすれていた

444:名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/07/24(日) 14:29:28.93 ID:TC4uTrNb0

>>23
95年は日本国内の事件だけしかないけど、89年は世界的事件が多いね

691:名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/07/24(日) 16:10:40.84 ID:X5drSrFj0

>>23
国内だったら今年が一番だと思うけどな
世界的なら1989かもしれんが

25:名無しさん@涙目です。(東京都):2011/07/24(日) 13:10:21.08 ID:FVE5XGnA0

とりあえずぐぐってみた。
89年

95年

713:名無しさん@涙目です。(茨城県):2011/07/24(日) 16:27:05.70 ID:RKIYBfL+0

>>25
89ってこんな濃かったっけか
片や95なんて大したことないな。オウムしかないじゃん

2012年3月27日火曜日


聖書を研究する人たちは,重要な意味を持つ事柄が1914年に生じるということを,その何十年も前から宣明していました。それはどんな事柄でしたか。1914年が重要な年であることを裏づけるどんな証拠があるでしょうか。

ルカ 21章24節に記されているように,イエスはこう述べました。「エルサレムは,諸国民の定められた時[「異邦人の時」,「ジェームズ王欽定訳」(英語)]が満ちるまで,諸国民に踏みにじられるのです」。エルサレムはユダヤ国民の首都でした。つまりダビデ王の家系に属する歴代の王が支配を行なう座となってきました。(詩編 48:1,2)しかし,それら歴代の王たちは,国々の指導者たちの中でも独特な存在でした。神ご自身の代表者として「エホバの王座」に座したのです。(歴代第一 29:23)そのためエルサレムは,エホバの支配の象徴となりました。

2012年3月25日日曜日


 三機のNT兵器が、マニトバ州上空を南下する。
 先頭を行くスーリィのドゥルガーが、主翼を振って合図した。
 瑞樹は翼を振り返して了解したことを伝えた。緊密に編隊を組むフィリーネとは、手信号で連絡を取る。
 会合ポイントが近づきつつある。瑞樹は計器版の時計を確認した。GMT1128。現地時間は午前五時二十八分。そろそろ夜明けを迎える時刻であり、周囲は結構明るい。
 ドゥルガーが、再び主翼を振る。視認の合図だ。瑞樹は眼を凝らした。
 いた。
 手筈通り、東の空、低い高度に小さな黒点が現れていた。近づくにつれ、太い二本の胴体と巨大な三角翼が見て取れるようになる。
 フルバックだ。
 こちらの接近に気付いたフルバックから、発光信号が送られてきた。緑色の灯火が、ちかちかと瞬く。
 フラッシング・グリーン。味方の合図だ。
 瑞樹は、フィリーネを伴ってフルバックの後方についた。スーリィのドゥルガーは、前方やや上空を飛ぶ。
 オペレーション・ハイポダーミックは、極秘作戦である。全容を知るものは、ごく少数だ。UNUFNAWCの戦闘機パイロットの大半は、このフルバックの役目など知る由もない。哨戒飛行中に見つけたら、問答無用で襲い掛かってくるだろう。それを防ぐための、フレイルによる護衛である。

 その三十分前。
 カナダ、ノースウェスト・テリトリーの州都イエローナイフ。
 夜明け直後のイエローナイフ空港に、二機のカナダ空軍CC−130輸送機が降り立つ。機体から吐き出されたカナダ・ランド・フォース・コマンドの兵士はすみやかに空港を閉鎖し、周辺警備を確立した。
 フレイル・スコードロンがフルバックと会合したのと時を同じくして、滑走路に二機のC−17が着陸する。こちらから降りてきたのは、ハンク・フェントン少佐率いる英国陸軍SAS強化中隊だった。装備を降ろした兵士たちは、カナダ軍が用意した朝食を平らげ始めた。八月にもかかわらず、気温は十二度しかない。しかし、良く晴れているので戸外でも快適だった。
 イエローナイフの市民たちは、市街地の西にある空港を不安げに眺めて噂しあった。今のところ、カピィの攻撃を受けたこともなければ、軍が街に駐留したこともない。辺境ゆえに、戦争からは隔絶されていた街である。
 現地時間午前七時前。空港を眺めていた市民の大半が、腰を抜かさんばかりに驚いた。
 市街地上空を、一機のフルバックが低空で通過したのだ。それがカピィの航空兵器であることは、ほとんどの市民がTVなどを通じて知っていた。
 さらに驚いたことに、そのフルバックはイエローナイフ空港に着陸した。空港にいる軍隊は、まったくの無抵抗であった。
 理解しがたい状況である。
 現地時間午前九時ちょうど、フルバックが離陸した。市民らが始めて眼にする型式不明の小型機三機が、あとを追うように離陸する。

「そろそろお時間です」
 ヴィドが、告げた。
「うむ。あとは頼んだぞ」
「心得ています」
 ヴィドが、鼻を鳴らす。ティクバは、ちらりと舌を見せると、エレベーターに乗り込んだ。護衛役の二体が、続いて乗り込む。
 大型機発着デッキまで上がったティクバは、すでにNTを始動させて待っていたフルバックに護衛と共に乗り込んだ。機長の挨拶を受けてから、飛行用休息台に身を横たえる。
 すぐに、フルバックは発進した。空中待機していた一個編隊のファイアドッグが、護衛に付く。
 ティクバは装備ベルトから麻痺銃を取り外すと、点検した。おそらく使うことはないだろうが、用心に越したことはない。

 GMT1700。中部標準時夏時間十二時三十分。
 SASを満載したフルバックは、カンザス州トペカ市近郊のフォーブス空軍基地跡に着陸した。
 瑞樹らはNT兵器をフルバックの至近にVLさせた。ここまで来れば、UNUFAF機に攻撃される可能性はゼロに等しい。むしろ危険なのは、カピィ航空兵器である。ティクバの計らいで、この空域の哨戒は行われないことになっているはずだが、カリフォルニアを発進した不定期パトロールが現れる危険性がある。もし発見されたとしても、フルバックを巻き添えにしなければ攻撃できない位置にNT兵器がいれば、カピィのパイロットも射撃をためらうだろう。
 瑞樹は外気を入れようとキャノピーを開けたが、すぐに閉めた。
 耐え難い熱気が侵入してきたからだ。外の気温は確実に三十度を超えているだろう。
 ふと見ると、フィリーネのイシュタルは、フルバックの大きなデルタ翼が作り出す日陰に、ちゃっかりと入っていた。‥‥あれでは目視対空監視ができないし、とっさのVTOもできないが、瑞樹はフィリーネを咎める気にはなれなかった。
 時間がゆっくりと流れてゆく。ティクバの乗るフルバックの到着予定時刻はGMT1730。待機時間はなるべく短い方が理想的だが、カナダからの飛行時にトラブルが生じた場合のことを考えると、若干の余裕を持たせたほうがいい。待ち時間三十分というのは、ぎりぎりの時間だった。
 GMT1725。スーリィのドゥルガーと、瑞樹とフィリーネのイシュタルは離陸した。低空を保ったまま、東北東へと向かう。
 時間通りに、フルバックが現れた。発光信号で味方識別ののち、フォーブス空軍基地跡に着陸する。護衛のファイアドッグは、低空で旋回待機に入った。

 ダリルはドゥルガーを降りて待っていた。
 ティクバが本物かどうか確かめるように、アークライトに命じられていたのである。人類で唯一、ダリルが外見だけでティクバを識別することができる。偽物が送り込まれたとすれば、100%罠に違いない。
「ダリル。貴殿が護衛についてくれるとは、心強い」
 フルバックを降りてきたカピィが、舌を見せた。
「みんなを頼むよ、ティクバ。必ず作戦を成功させておくれよ」
 ダリルは同じように舌を出した。アークライトの方に向け、軽くうなずいてティクバが本物であることを知らせる。
「よろしく頼みます、ミスター・ティクバ」
 アークライトが、ティクバの触腕を握った。
「パルマー中佐はご存知ですな。こちらが、本作戦の要となる戦士集団の部隊長、フェントン少佐です」
「共に戦えることを嬉しく思いますぞ、フェントン少佐」
 ティクバが触腕を差し出す。
「こちらこそお会いできて光栄です、ミスター・ティクバ」
 フェントン少佐が、ぎこちない笑みを浮かべて、ティクバの触腕を握る。
「作戦は順調ですかな、パルマー中佐?」
 ティクバが、訊く。
「現在までのところ、問題は生じていません」
「では、タイムスケジュール通りに」
 ティクバが、待機しているフルバックの方へ歩み出した。二体の護衛、パルマー中佐、フェントン少佐が続く。
 アークライトが、ダリルを手招いた。
「様子はどうだ?」
「落ち着いていますね。妙な感情の変化は見て取れませんでした」
 ダリルはそう言った。
「うむ。どうやら担がれてはいないようだな」
「お気をつけて」
「ありがとう。‥‥中佐。ひとつだけ訊きたい。わたしは落ち着いているように見えるかね?」
「はい。普段通りに見えますが」
「ふむ。やはり、人類はカピィよりも感情を秘匿しやすいようだな」
 アークライトが、口の端を歪めるようにして、苦笑した。

 飛行するフルバックの機内で、最終的な打ち合わせが行われる。
「軍用船二号に居る情報提供者から、気になる情報が伝えられた」
 ティクバが切り出す。
「オブラクが、連絡艇の警備を強化したそうだ」
「‥‥攻撃を悟られましたかな」
 パルマーが、顎を撫でる。
「いや、そうではない。どうやら、オブラクの部下の中にも人類市民攻撃に反発する者が多いようなのだ。その一部が、何らかの妨害工作を行う可能性を慮ってのことと思われる」
「なるほど、サボタージュ対策ですか」
 アークライトはうなずいた。
「具体的に、どのような警備強化がなされたのですか?」
 フェントン少佐が、訊く。
「主に機械的なものだ。管制室への扉の閉鎖。アクセスハッチの閉鎖。それに、連絡艇格納デッキへの警備常駐。諸君であれば、突破するのは容易だろう」
「PE4を余分に持っていきましょう」
 曹長のひとりが、進言する。
「任せるぞ、キャンベル曹長」
 フェントン少佐が、うなずいた。

 コロラド州に入ったところで、フレイル・スコードロンはフルバックの護衛任務を打ち切った。これ以上随伴したら、着陸船二号に発見される危険性が高まる。あとは、ファイアドッグ一個編隊に任せて、フレイルは低空で旋回待機に入った。
 フルバックの着陸船到着予定時刻はGMT1830。太平洋標準夏時間で午前十一時三十分。その直後に突入作戦が開始される。フレイルは突入開始後二十分以内に現地に到着し、不測の事態に備える事になる。
「これで、戦争が終わるのかなぁ」
 まぶしいコロラドの日差しを見上げながら、瑞樹はつぶやいた。
 とにもかくにも、戦争が終わってくれれば、みんなの死は無駄にはならない。アレッシア、ニーナ。ミギョン。ミュリエル、ヘザー。そして‥‥サンディ。

「十分前!」
 パルマー中佐が、怒鳴った。
 すでに、突入隊は左右胴体の後部、貨物ランプの前に集結していた。
 アークライトは自分のM−16A2をチェックした。異常はないようだ。着慣れていない抗弾ベストと、UNUF標準のヘルメットのせいか、どうも居心地がよくない。
 傍らのチョープラー大尉を見る。こちらも、気分は良くないようだ。緊張した面持ちで、アサルト・ライフルを握り締めている。
「ジャミール。力を抜け」
 ホーキンス大尉が、チョープラーの肩を叩いた。
「そう言われてもね」
 チョープラーが、苦笑する。
「難しいことはSASの連中に任せておけばいいんだ。俺たちは、ミスター・ティクバと司令の護衛だけ考えていればいい」

2012年3月22日木曜日


NHKスペシャル 映像の世紀 第4集 ヒトラーの野望 [DVD]/出演者不明
¥7,140
Amazon.co.jp

です。映像の世紀の中でも断トツの人気を誇る

第4集 ヒトラーの野望 であります。

まさに加古隆さんの「パリは燃えているか」が鳥肌立つぐらい合います。

皆さまヒトラーの演説の映像ちゃんと観たことありますでしょうか。
これはね、
たしかに惹かれる理由もわからなくない。

もし私が同じ時代の同じ場所、つまり第一次大戦後のドイツ国民だったらって考えると
支持しちゃうかもしれないよね。ほんとう。

2012年3月21日水曜日

ひらめきはどこから来るのか | 書籍案内 | 草思社
ひらめきはどこから来るのか. 吉永良正 著. ひらめきは記憶力や演算能力を高めた ところで生まれはしない。独創的なアイデアは考える力が生む。 ...
www.soshisha.com/ book_search/ detail/ 1_1311.html

2012年3月19日月曜日

メイン号事件から9.11へ

「幻想のパティオ」メニューに戻る  総合目次に戻る

スペインは米国の謀略テロ被害者第1号だった:

メイン号事件から9.11へ

※ これは、2004年10月01日に阿修羅サイトに投稿した文章に加筆・訂正を施したものである。

なお、文章中のUrlの中にはリンク不可になっていたり内容が変化しているものもあるかもしれないが、使用した資料を示すために掲げておく。

 1898年2月15日に起きた「メイン号事件」は米西戦争のきっかけとして世界中の多くの人に知られており、日本のネット・メディアでも、特に2001年9.11以後、それとの比較で様々に取り上げられてきたはずです。もちろんスペインでも同様です。特にこの国では米西戦争の歴史的なトラウマとして、未だ強い反米感情が心理の深層に横たわっています。

 私も縁あってスペインという国のお世話になっている以上、この「事件」について黙っていると言う訳にもいかないでしょう。またイラク戦争で米国自らが「撤退時期」をほのめかすようなご時世ですので、このアメリカ帝国の出発点となる米西戦争および「メイン号事件」について、改めて検討してみるのも意義あることと思います。かなりの長文ですが、最後までお付き合いください。

この文章は次の5部構成です。
(1)米西戦争のあらまし
(2)メイン号沈没の原因探し
(3)私は歴史をどう見るのか?
(4)メイン号事件とその後の歴史についての検討
(5)「メイン号事件」についての、日本におけるさまざまな反応の実例

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スペインは米国の謀略テロ被害者第1号だった:
メイン号事件から9.11へ


(1)米西戦争のあらまし

 米西戦争の過程についてはすでにご承知の方も多いだろうが、あまりご存知の無い方のために、とりあえず簡単に事実経過をご紹介しよう。

●19世紀も半ばになって、かつての大植民帝国スペインは次々と領土を失い、没落の一途をたどる。(ただし勘違いしてはならないのは、植民地時代に作り上げた人と金と物の流れ、特にカトリック組織を通した通路は決して失われていない、ということだ。一つの帝国にとって「旧植民地」は単なる「旧」では無い。)最後に残された植民地は、キューバ、プエルトリコ、フィリピン、グアム周辺と、アフリカの一部(現在の赤道ギニアとサハラウイ)であった。1880年代以降はそのキューバとフィリピンで独立運動が盛んになりスペイン政府は激しく弾圧を繰り返す。1895年にキューバで、ホセ・マルティー(同年に殺害される)が指導する独立運動が大きな盛り上がりを見せ状況は危機的になる。

 一方、南北戦争の混乱から立ち直り、またネイティブ・アメリカン(インディアン)の大虐殺と土地の強奪をほぼ完了させたアメリカ合衆国は、南北戦争でやや出遅れた感のある帝国主義的進展を開始させる時期にあった。しかし世界の大部分の土地はすでにヨーロッパ各国の植民地となっており「未開拓」の場所はない・・・。必然的に「一番弱いヤツ」からまきあげるしか方法はない。目をつけられたのがフィリピンなどの太平洋の諸島とカリブ海にあるスペイン領であったことは言うまでもあるまい。それはまた、ネイティブ・アメリカンたちとの戦争が一段落し次の儲け口を探す軍需産業と、新たな仕事で手柄を立てたい将軍たちにとっての、絶好のチャンスでもあった。

 キューバにはすで に砂糖キビ・プランテーションに大量の米国資本が投下されていたのだ。まさに「甘い汁」である。さらにそこで取れる良質のタバコは当時のスペインに膨大な利益をもたらしていた。指をくわえて見ているわけにはいかない。

 キューバ独立の「殉教者」ホセ・マルティーは1892年に「キューバ革命党」を設立したが、その本拠地は、アメリカの資本とジャーナリズムの本拠地でもあるニューヨークだった。彼とそのグループがアメリカの「有力な人々」からその活動資金と武器を与えられていたことに疑いの余地はあるまい。またアメリカの軍関係者による「指導」もあっただろう。米国政府はキューバの反乱勢力支持を打ち出して再三スペインに警告を発していたのである(大統領はクリーブランド:民主党� �97年からマッキンリー:共和党)。その「反乱勢力支持」が単なる言葉だけ、リップサービスのみであったと信じる理由はどこにも無い。もう一つ、ここにそれ以後(20世紀以後)の戦争に決定的な特徴を与えることが起こる。新聞、つまりマスメディアによるプロパガンダと煽り立てである。

 当時、イエロー・ペーパーと呼ばれる庶民向けの下世話な話題を取り扱う安い値段の新聞があった。そのイエロー・ペーパーの代表的なものが「ニューヨーク・ワールド」と「ニューヨーク・ジャーナル」である。1883年にニューヨーク・ワールドを買い取り社主となったのがジョセフ・ピューリツァーである。そうジャーナリストに与えられる最高の栄誉、「ピューリツァー賞」の、あのピューリツァーなのだ。� ��はハンガリーのユダヤ系移民の出身であった。もう一つのニューヨーク・ジャーナルを1895年に買い取って社主となったのが後に「新聞王」と言われるウイリアム・ランドルフ・ハーストという人物である。彼は米国の名門家庭の出で上院議員の息子だが、この非常に出自の異なった二人が「一つの目的」に向かってまい進することとなる。

 彼らは「キューバに対するスペイン人の蛮行」のあることないこと、事実とデマをごちゃ混ぜにした記事を、実にセンセーショナルな表現で飾り立てて報道し始めた。そのスペイン攻撃の調子が激しければ激しいほど、この二つの新聞はどんどんと発行部数を伸ばし、お互いに激しい販売競争を繰り広げていく。もちろんどちらがより扇情的であるのか、どちらがより読者の 「スペイン憎し」の興奮を誘い、なおかつ「独立と自由を愛する正義のアメリカ人」という国民のナルシシズムを心地良くくすぐる記事を第1面に載せるのかが第一であり、事実かどうかなどこの両紙にとってはどうでも良かったのである。もちろんこの両紙のオーナーがこれで巨万の富をかせいだことは言うまでもない。

 そしてそれまでの「政府広報」主体の戦争宣伝ではなく、こういった「民間の報道機関」によるデマの垂れ流しと読者への心理的操作を用いた戦争熱の煽り立てが、これ以降の戦争の性格を決定付けることとなる。もちろんこの両紙だけでなく米国各地の新聞も売り上げ部数の増大を狙って一斉にそれに習い、国中でスペインとの開戦を政府に要求する機運が盛り立てられた。このような報道のあり� ��を「イエロー・ジャーナリズム」と呼ぶ。
 一方、豊富な資源と絶好の地政学的条件にあるフィリピン諸島獲得のチャンスを虎視眈々とうかがっていたアメリカは、1896年にフィリピン革命戦争が勃発すると「独立を支援する」という名目で介入し、この太平洋のスペイン植民地強奪策謀を開始していた。この「フィリピン革命戦争」開始のはるかに以前からも、独立派にアメリカ人の「相談役」がいたことは間違いあるまい。

 こうして両国の間の緊張が増していった。そしてキューバ人の反乱が激化した98年1月に、米国政府はキューバ在留米国人の保護という名目で海軍の派遣を決め戦艦メイン号をハバナ港に送った。そして2月15日の夜、メイン号は突然爆発を起こし沈没。260名が死亡したがその中には7名の日本人労働者も含まれていた。

 米国海軍省の直後の調査では爆発の原因を特定できなかった。しかし多くのジャーナリズムや一部議員たちは、この爆発を何の根拠も無しにスペインが仕掛けた機雷によるものと決め付け、新聞が「リメンバー・ザ・メイン!」を煽り立て、「復讐心と正義感」にいきり立つアメリカ人たちは一気に戦争へ突っ走る巨大なマシンへと変身した。スペイン政府は双方の委員からなる事故原因究明のための共同委員会を組織することを提案したが、もちろん米国政府はこれを拒絶。「開戦には躊躇する」というジェスチャーを見せながら時間を稼ぎ、すでに十分に進めていた戦争準備を完了させる。

 米国は4月25日に戦争を宣言した、ということに一応なっているが、実際にはずるずるべったりに戦闘状態に入ってしまったようだ。米国は迷わずフィリピンを攻めた。米軍は5月1日のマニラ海戦でスペイン太平洋艦隊を全滅させたわけだが、その際の米軍の被害は負傷者8名のみだった。その2ヵ月後にキューバのスペイン海軍を全滅させるのだが、7月3日の海戦ではわずか4時間でスペイン艦船をすべて撃沈、米軍は死者1名負傷者2名のみ。どちらもまるで漫画みたいな戦闘だったようである。

 すべての補給を絶たれてキューバに取り残されたスペイン陸軍は降伏する以外に道は無かった。すでに2千名を戦闘で、1万5千人以上を病気で失っており、なすすべも無くぼろぼろになった敗残兵たちはスペインに貨物のように送り返されて、バルセロナなどの岸壁に放り出された。彼らは熱病にうなされながら道端で物乞いをするしかなかったのだ。

 こうして戦いはアメリカの一方的な勝利に終わった。またそのどさくさに紛れてハワイも併合してしまう。これが、アメリカが世界帝国として踏み出した第1歩であることに、誰一人異論はあるまい。ついでに南北戦争で植えつけられた米国人相互の不信感を癒し一体感と自信を植えつける重要な戦争でもあった。
【参考資料】

(Chronology of Cuba in the Spanish-American War)

 キューバは戦略的な位置と同時に砂糖の「甘い汁」を滴らせていた。しかし最初に攻略したのがキューバではなくフィリピンであったことは興味深い。もちろん1年以上も前から(あるいはもっと前から)ここを奪い取る策略を開始していたのである。フィリピンでの開戦を遅らせたら英国やオランダなどによる干渉が起こっていたかもしれない。

2012年3月18日日曜日

解決済みの質問

kitaro0609さん

トルーマンがギリシャ・トルコへの軍事援助を米議会に要請したことが、なぜ冷戦の始まりといわれているのですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

fj197099さん

1947年3月のトルーマンドクトリンは確かに冷戦史の序盤での有名なイベントですが、歴史学的にはこのイベントは派手なだけで、冷戦の展開にあまり本質的に貢献したとは思われていません。

2012年3月17日土曜日

山口(2010)『ん』からはじめる思ひめぐらし: (1) はじめに

この2月——だから そんなに 対論として 意味の ある 記事には ならないのだが、しかし あへて——に:

  • 山口謡司(2010)『ん: 日本語最後の謎に挑む』新潮社

が 出版された。著者の 前著、

  • 山口謡司(2007)『日本語の奇跡: 〈アイウエオ〉と〈いろは〉の発明』新潮社

の 悪評の たかさに 問題の 前著は 読んでゐなかったのだが 本著も また べつの いみで 期待できた。

なにぶん 著者の 書いたものは はじめてで あったが 一読 品の わるさに こっちが はづかしくなる 思ひを した。あとがきに 云ひて 曰く:

日本語には、なぜ「ん(ン)」で始まる言葉はないのか、と質問されたことがある。

しかし、じつは、世界の言語に目を広げても「ん」という発音で始まる言葉はさほど多くはないのである。思いつくままに挙げれば、たとえば、アフリカ、チャド共和国の首都名「N'Djamena」は日本語では「ン・ジャメナ」と表記される。また、チベット語には「'ngaa(ンガア)」が「早い」、「nga(ンガ)」が「私」を意味するような言葉があり、中国語の方言のひとつである広東語でも「ngo(ンゴ)」(「私」)などの言葉がある。さらに、広東語では「呉」という漢字は「Ng(ン)」と発音される。だが、これらの言語にも、「ン」で始まる言葉は少なく、ヨーロッパの諸言語にいたっては「ン(n)」で始まる言葉はまったくない。世界中の言語でも絶対数から言えば、日本語同様、「ン」で始まる言葉の数は非常に少ないのである� ��

では、なぜ少ないかと言うと、「ン」は、喉の奥で止めて出される音で、人が出す音としては不自然だからである。チベット語にしても広東語にしても「n」を確定するための「g」という音が次について現れるのはそのためである。つまり、単独で「ン」だけが存在するような言葉は、やはり、基本的にはないと言えよう。

山口 (2010, pp. 187-88)

2012年3月15日木曜日

Rebranding Hate in the Age of Obama
With an African-American president and the economy in bad shape, extremist groups are trying to enter the mainstream―and they're having some success.

By Eve Conant | NEWSWEEK
Published Apr 25, 2009
From the magazine issue dated May 4, 2009

魚拓2

 当ブログでは白人至上主義者の記事なども紹介しているが、これはニューズウイークがその最近の台頭をうまくまとめたもの。とくに目新しいものはないが、オバマ大統領の時代に、こうした極端な団体が主流に食い込もうとしており、ある程度の成功を収めている、という。例えば、あるKKKの一派は、非暴力グリーンエネルギー女性の権利をうたうようになった。主流にくいこむ方策だね。もっとも、不法移民と服役黒人は自発的に祖国へ帰還すべし、などというチラシを配っている、という。ーーーまあ、日本でも左翼の過激派に国民はひいたように、右翼で過激な発言する人にも国民はついていけない、わけだ。
 もっとも、トーンダウンした団体もあれば、それを補うべく過激な発言や表現をする団体がでてくる、という。

Community cohesion is alive and well – no thanks to the government

 これは政府の出した報告を批判している。イギリス。報告によれば、イギリスのコミニティーはバラバラになってしまった、というが、そんなことはないぞ、という趣旨らしい。

 また、マイノリティーに対してというより、政府に対して怒っているんだ、という。

が、しかし、これ、みると、報告書の方が面白い。で、批判は強調点の違いにすぎないようにも思える。

Sources of resentment, and perceptions of ethnic
minorities among poor white people in England
Report compiled for the
NATIONAL COMMUNITY FORUM PDF
 で、これがその報告書
 イギリスにおける白人貧困層が憤慨する原因と、そのマイノリティーに対する見方。
 白人至上主義者のような過激な団体、反不法移民、反移民団体など、組織だったものではないが、普通のイギリスの白人労働者のマイノリティー、新参移民に対するとまどいや、憤りをすなおにまとめて、分析し、それに基づいて対策などを提案している。日本の中央・地方政府の役人などもぜひ読んでおいてほしい文献である。
 パラパラと前のほうから目についたところを拾うと、(翻訳ではない)

 師走に入り、国会の会期が終了した。
 振り返れば、本年初めの通常国会が夏の参議院選挙で終わり、多くの台風上陸の中で何とも暑い夏が過ぎると共に、この度の臨時国会が始まった。
 その間、二つの連続台風と地震が甚大な被害をもたらした。
 そして、天変地異と異常で奇異な犯罪が、人々の印象に残りながら今年が暮れていく。
 天地の動きと人心に異変が起きてきているのであろうか。

 来年は、平成17年、西暦2005年である。
この年は、大東亜戦争・第二次世界大戦終結60年と日露戦争終結100年にあたる。
 我が国の風潮では、戦争は過去のことであるが、
 世界と周辺諸国にとっては過去ではない。
 過去の戦争は、未だに続いており、
 現在のプロパガンダの道具である。

 従って来年、中国とロシアは、ナチスと日本を共通の「悪」として対日対独勝利60周年を共同で祝い、自分たちに不都合な日本の主張を封殺し、自らの要求の正当性を世界に印象付けようとするだろう。・・・北方領土、尖閣諸島、竹島、東海、排他的経済水域、南方の海底油田・天然ガス、靖国神社、等々いくらでもある。