メイン号事件から9.11へ
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スペインは米国の謀略テロ被害者第1号だった:
メイン号事件から9.11へ
※ これは、2004年10月01日に阿修羅サイトに投稿した文章に加筆・訂正を施したものである。
なお、文章中のUrlの中にはリンク不可になっていたり内容が変化しているものもあるかもしれないが、使用した資料を示すために掲げておく。
1898年2月15日に起きた「メイン号事件」は米西戦争のきっかけとして世界中の多くの人に知られており、日本のネット・メディアでも、特に2001年9.11以後、それとの比較で様々に取り上げられてきたはずです。もちろんスペインでも同様です。特にこの国では米西戦争の歴史的なトラウマとして、未だ強い反米感情が心理の深層に横たわっています。
私も縁あってスペインという国のお世話になっている以上、この「事件」について黙っていると言う訳にもいかないでしょう。またイラク戦争で米国自らが「撤退時期」をほのめかすようなご時世ですので、このアメリカ帝国の出発点となる米西戦争および「メイン号事件」について、改めて検討してみるのも意義あることと思います。かなりの長文ですが、最後までお付き合いください。
この文章は次の5部構成です。
(1)米西戦争のあらまし
(2)メイン号沈没の原因探し
(3)私は歴史をどう見るのか?
(4)メイン号事件とその後の歴史についての検討
(5)「メイン号事件」についての、日本におけるさまざまな反応の実例
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スペインは米国の謀略テロ被害者第1号だった:
メイン号事件から9.11へ
(1)米西戦争のあらまし
米西戦争の過程についてはすでにご承知の方も多いだろうが、あまりご存知の無い方のために、とりあえず簡単に事実経過をご紹介しよう。
●19世紀も半ばになって、かつての大植民帝国スペインは次々と領土を失い、没落の一途をたどる。(ただし勘違いしてはならないのは、植民地時代に作り上げた人と金と物の流れ、特にカトリック組織を通した通路は決して失われていない、ということだ。一つの帝国にとって「旧植民地」は単なる「旧」では無い。)最後に残された植民地は、キューバ、プエルトリコ、フィリピン、グアム周辺と、アフリカの一部(現在の赤道ギニアとサハラウイ)であった。1880年代以降はそのキューバとフィリピンで独立運動が盛んになりスペイン政府は激しく弾圧を繰り返す。1895年にキューバで、ホセ・マルティー(同年に殺害される)が指導する独立運動が大きな盛り上がりを見せ状況は危機的になる。
一方、南北戦争の混乱から立ち直り、またネイティブ・アメリカン(インディアン)の大虐殺と土地の強奪をほぼ完了させたアメリカ合衆国は、南北戦争でやや出遅れた感のある帝国主義的進展を開始させる時期にあった。しかし世界の大部分の土地はすでにヨーロッパ各国の植民地となっており「未開拓」の場所はない・・・。必然的に「一番弱いヤツ」からまきあげるしか方法はない。目をつけられたのがフィリピンなどの太平洋の諸島とカリブ海にあるスペイン領であったことは言うまでもあるまい。それはまた、ネイティブ・アメリカンたちとの戦争が一段落し次の儲け口を探す軍需産業と、新たな仕事で手柄を立てたい将軍たちにとっての、絶好のチャンスでもあった。
キューバにはすで に砂糖キビ・プランテーションに大量の米国資本が投下されていたのだ。まさに「甘い汁」である。さらにそこで取れる良質のタバコは当時のスペインに膨大な利益をもたらしていた。指をくわえて見ているわけにはいかない。
キューバ独立の「殉教者」ホセ・マルティーは1892年に「キューバ革命党」を設立したが、その本拠地は、アメリカの資本とジャーナリズムの本拠地でもあるニューヨークだった。彼とそのグループがアメリカの「有力な人々」からその活動資金と武器を与えられていたことに疑いの余地はあるまい。またアメリカの軍関係者による「指導」もあっただろう。米国政府はキューバの反乱勢力支持を打ち出して再三スペインに警告を発していたのである(大統領はクリーブランド:民主党� �97年からマッキンリー:共和党)。その「反乱勢力支持」が単なる言葉だけ、リップサービスのみであったと信じる理由はどこにも無い。もう一つ、ここにそれ以後(20世紀以後)の戦争に決定的な特徴を与えることが起こる。新聞、つまりマスメディアによるプロパガンダと煽り立てである。
当時、イエロー・ペーパーと呼ばれる庶民向けの下世話な話題を取り扱う安い値段の新聞があった。そのイエロー・ペーパーの代表的なものが「ニューヨーク・ワールド」と「ニューヨーク・ジャーナル」である。1883年にニューヨーク・ワールドを買い取り社主となったのがジョセフ・ピューリツァーである。そうジャーナリストに与えられる最高の栄誉、「ピューリツァー賞」の、あのピューリツァーなのだ。� ��はハンガリーのユダヤ系移民の出身であった。もう一つのニューヨーク・ジャーナルを1895年に買い取って社主となったのが後に「新聞王」と言われるウイリアム・ランドルフ・ハーストという人物である。彼は米国の名門家庭の出で上院議員の息子だが、この非常に出自の異なった二人が「一つの目的」に向かってまい進することとなる。
彼らは「キューバに対するスペイン人の蛮行」のあることないこと、事実とデマをごちゃ混ぜにした記事を、実にセンセーショナルな表現で飾り立てて報道し始めた。そのスペイン攻撃の調子が激しければ激しいほど、この二つの新聞はどんどんと発行部数を伸ばし、お互いに激しい販売競争を繰り広げていく。もちろんどちらがより扇情的であるのか、どちらがより読者の 「スペイン憎し」の興奮を誘い、なおかつ「独立と自由を愛する正義のアメリカ人」という国民のナルシシズムを心地良くくすぐる記事を第1面に載せるのかが第一であり、事実かどうかなどこの両紙にとってはどうでも良かったのである。もちろんこの両紙のオーナーがこれで巨万の富をかせいだことは言うまでもない。
そしてそれまでの「政府広報」主体の戦争宣伝ではなく、こういった「民間の報道機関」によるデマの垂れ流しと読者への心理的操作を用いた戦争熱の煽り立てが、これ以降の戦争の性格を決定付けることとなる。もちろんこの両紙だけでなく米国各地の新聞も売り上げ部数の増大を狙って一斉にそれに習い、国中でスペインとの開戦を政府に要求する機運が盛り立てられた。このような報道のあり� ��を「イエロー・ジャーナリズム」と呼ぶ。
一方、豊富な資源と絶好の地政学的条件にあるフィリピン諸島獲得のチャンスを虎視眈々とうかがっていたアメリカは、1896年にフィリピン革命戦争が勃発すると「独立を支援する」という名目で介入し、この太平洋のスペイン植民地強奪策謀を開始していた。この「フィリピン革命戦争」開始のはるかに以前からも、独立派にアメリカ人の「相談役」がいたことは間違いあるまい。
こうして両国の間の緊張が増していった。そしてキューバ人の反乱が激化した98年1月に、米国政府はキューバ在留米国人の保護という名目で海軍の派遣を決め戦艦メイン号をハバナ港に送った。そして2月15日の夜、メイン号は突然爆発を起こし沈没。260名が死亡したがその中には7名の日本人労働者も含まれていた。
米国海軍省の直後の調査では爆発の原因を特定できなかった。しかし多くのジャーナリズムや一部議員たちは、この爆発を何の根拠も無しにスペインが仕掛けた機雷によるものと決め付け、新聞が「リメンバー・ザ・メイン!」を煽り立て、「復讐心と正義感」にいきり立つアメリカ人たちは一気に戦争へ突っ走る巨大なマシンへと変身した。スペイン政府は双方の委員からなる事故原因究明のための共同委員会を組織することを提案したが、もちろん米国政府はこれを拒絶。「開戦には躊躇する」というジェスチャーを見せながら時間を稼ぎ、すでに十分に進めていた戦争準備を完了させる。
米国は4月25日に戦争を宣言した、ということに一応なっているが、実際にはずるずるべったりに戦闘状態に入ってしまったようだ。米国は迷わずフィリピンを攻めた。米軍は5月1日のマニラ海戦でスペイン太平洋艦隊を全滅させたわけだが、その際の米軍の被害は負傷者8名のみだった。その2ヵ月後にキューバのスペイン海軍を全滅させるのだが、7月3日の海戦ではわずか4時間でスペイン艦船をすべて撃沈、米軍は死者1名負傷者2名のみ。どちらもまるで漫画みたいな戦闘だったようである。
すべての補給を絶たれてキューバに取り残されたスペイン陸軍は降伏する以外に道は無かった。すでに2千名を戦闘で、1万5千人以上を病気で失っており、なすすべも無くぼろぼろになった敗残兵たちはスペインに貨物のように送り返されて、バルセロナなどの岸壁に放り出された。彼らは熱病にうなされながら道端で物乞いをするしかなかったのだ。
こうして戦いはアメリカの一方的な勝利に終わった。またそのどさくさに紛れてハワイも併合してしまう。これが、アメリカが世界帝国として踏み出した第1歩であることに、誰一人異論はあるまい。ついでに南北戦争で植えつけられた米国人相互の不信感を癒し一体感と自信を植えつける重要な戦争でもあった。
【参考資料】
(Chronology of Cuba in the Spanish-American War)
キューバは戦略的な位置と同時に砂糖の「甘い汁」を滴らせていた。しかし最初に攻略したのがキューバではなくフィリピンであったことは興味深い。もちろん1年以上も前から(あるいはもっと前から)ここを奪い取る策略を開始していたのである。フィリピンでの開戦を遅らせたら英国やオランダなどによる干渉が起こっていたかもしれない。
豚耳の垂れている場合、それは何を意味するまた戦争後にキューバは「アメリカの保護の下に」独立をさせ、米資本によるほしいままの収奪が開始された。また当初は「独立派を支持」していたフィリピンに対しては、1898年12月のパリ条約によってスペインから2千万ドルで買い取り植民地とした。フィリピンはすでに6月に独立宣言をしていたのだが、アメリカはスペインと同様に独立派勢力に対し徹底的な弾圧を加え、1899年から2年間にわたるフィリピン戦争の果てに独立派勢力を壊滅させた。
この国の大がかりな政治詐欺は今に始まったことではないのだ。当然だが、フィリピンとグアム、ハワイは、その後のアメリカ帝国にとって決定的に重要な場所となる。
政治詐欺----これが米西戦争以後のアメリカの対外基本路線であり、それは現在まで、強化されつつ一貫している。
●それにしてもなぜこれほど一方的な戦いになってしまったのか。何せ没落帝国スペインときた日には、既得権にしがみつくしか能の無い王族と坊主共、産業革命のような元手のかかる作業にはそっぽを向く低能の政府高官、絶望的に無能な将軍とやる気のかけらも無い汚職まみれの軍スタッフ、酒と女とキューバ人をぶん殴ることにしか興味の無い兵士、キューバ人をこき使って懐を暖めることにしか関心を持たない農場主と投資家たち、・・・、そして軍の装備は、というと、たとえば、ペリーが浦賀に「黒船」を率いてやってきてからすでに40年もたっているのに、未だに大半が木造の軍艦で、鉄板で覆うことすらしていない、という体たらく。はなから勝負にならない。相手は腐れ切ってヨレヨレ、米国にとって勝利は1� �0%保障されていたのだ。
しかしスペインにしても、哀れな下級兵士たちは別としても、彼らがそれ以前に300年以上に渡って中南米で働いてきた蛮行、略奪と強盗、そしてアフリカ人に対する救いがたい行状を考えるならば、一切同情には値しないだろう。しょせんは強盗・ヤクザの抗争の大型版、帝国主義戦争に過ぎない。
スペイン人にとってこの米西戦争は、「アメリカから原因不明のメイン号事件で言いがかりを付けられてナケナシの植民地をむしり取られた」忌むべき出来事、ということになる。現在でも米国を毛嫌いするスペイン人は多い。例えばイラク戦争開戦時には、調査によっては多少の違いはあるが、80%前後が反対した。自国政府が戦争支持の姿勢を打ち出したにも関わらず、である。これは単なる「反戦平和主義」という以上に「潜在的にある反米主義」が吹きだした、と見る方が正確ではないか。
●特にカタルーニャでは反米意識が強い。これがイラク戦争に対して、アスナール与党国民党の支持者をも含めて、カタルーニャ人の90%以上が反対した背景となっている。バルセロナでブッシュを応援しようものなら、にらまれて完全にそっぽを向かれるか、激しい議論を吹っかけられることは保証する。
これは、一つには、バルセロナ港に放り出されたキューバ敗残兵の悲惨な光景が、メイン号事件での言いがかりと共に、バルセロナ市民の記憶に生々しく焼きつき、子から孫へと語り継がれているためである。そしてもう一つの理由がある。
18〜9世紀のカタルーニャのブルジョアたちは、まず奴隷貿易で、そしてキューバでその奴隷をこき使って砂糖やタバコでぼろもうけし、ある者は質の悪いラム酒と綿製品をキューバで売りつけた。そうやって膨らませた資本でカタルーニャでの産業革命を起こして、今度は没落農民であるカタルーニャ人労働者を1日14時間から16時間も(女、子供を含めて)こき使ったのだ。さらに彼らは、贅沢三昧でなおかつ余った金をマドリッドの王家に献上して爵位を買い取っていたのである。有名なガウディのパトロンであるグエイュ(日本ではグエルで通っている)公爵家などはその代表だ。そしてスペインの中でも、そのカタルーニャのブルジョアたちがこの米西戦争敗北で最も深刻な打撃を受けたわけである。なぜカタルーニ� ��で上も下も反米なのか、これでご理解いただけるだろう。
(2)メイン号沈没の原因探し
以上が米西戦争のあらましだが、さて、そのきっかけとなった「メイン号事件」について、である。
●次の資料は、米国海軍歴史センターのホームページからのものである。
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The Destruction of USS Maine
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これによると、沈没の原因は、「事件」当初の海軍による調査では全くつかめなかったため何の結論も出さず、ジャーナリズムの憶測による反スペイン・キャンペーンだけが吹き荒れた。戦争後の1911年になって船体が引き上げられて原因が調査され、弾薬庫付近の船底の鉄板の曲がり具合から、機雷によって外から爆破されたもの、という結論が発表された。しかし一方では「燃料の石炭の自然発火による事故説」も根強く、1976年に海軍大佐Hyman G. Rickoverが「最新の科学知識を応用して」以前のデータを再検討し、「弾薬庫の隣にあった燃料用石炭の自然発火が最も可能性が高い」という結論を出したことが書かれる。そしてこの資料では、石炭の自然発火は到底ありそうに無いと異論を唱える人々もいること、しかし機雷説にしても推測に過ぎないこと、最後に、米国海軍自身の結論としては「原因は未だ不明」だということ、が述べられている。いずれにせよ、1911年に調査のために船体が引き上げられたあと再び沈められ、もはやこれ自体の物的な検証は永久に不可能になっている。
石炭は空気中で酸化を起こして自然発火する可能性があり、石油と違って長期間の備蓄が効かない、という。確かに昔九州のボタ山から自然発火の煙が立ち昇っていた。しかしどれくらいの量をどんな状況にどれくらいの時間置けば自然発火するのだろうか。メイン号のような大型船舶が燃料の石炭の自然発火で事故を起こした例は、私は不勉強にして知らないが、ご存知の方があればお教え願いたい。しかし可能性をゼロとは断言しないがいずれにせよ非常に小さいのではないか。
米国の高校生用の教科書をのぞいて見るとやはり「未だに原因は不明である」と書かれているのみであり、他の米国側の資料でも原因については簡単に「不明」としか書かれていない。例えば
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(US declared war on Spain)
(Military History"Spanish-American War")
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● ではもう一方の当事者スペインではどのように言われているのか。私は様々な資料を調べているのだが、驚くことにその「原因」について詳しく追究しているものが意外と少ない。学術的な歴史研究のサイトでも、スペイン史資料で「権威の高い」とされるHispanidadも、ひたすら事実関係を述べるだけで、メイン号爆発・沈没の「原因」に関しては、まるで忌まわしいものから目をそむけるような態度なのだ。ただ左翼情報誌Rebelionは「石炭の自然発火説」を取り上げて「スペインには責任が無いことが証明された」という内容の記事を書いている。
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(Rebelion:Remember the Maine:スペイン語)
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しかしいくつかのページでは、米国の第1次大戦への参戦経過、パールハーバー、トンキン湾事件、そして9.11と並べて比較した上で、「米国による謀略説」が強調されている。
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(La Voladura del Maine:スペイン語)
(Contrastant:カタルーニャ語)
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推測するしかないのだが、多くのスペイン人の胸の内はたぶん「米国謀略説」ではないか。あえて原因を活字にしない著者にしても同様で、むしろ自然発火説は断固として認めたくない、というのが本音ではないか、と思われる。普段は黙っていても、いざというときに吹きだしてくる反米意識がそのことを強く暗示しているように思う。
●事件発生以来、「スペインによる奇襲攻撃説」、「米国による謀略説(主としてキューバ独立派勢力をそそのかして機雷を仕掛けさせた、というもの)」、「自然発火説」、また一部には米国とスペインを衝突させる「キューバ独立派勢力による陰謀説」と様々な説が乱れ飛んできたが、いずれの説にしても「完璧な物証」があっての話ではなく、またその追究はすでに不可能になっているし、たとえ何かの決定的な証拠になる文書が米軍内に機密資料として眠っているとしても、それが公開される可能性はほぼ無いだろう。もはやこの「メイン号事件」に関して何も語りようが無いのか。
(3)私は「歴史的事実」をどう見るのか?
もちろん私は歴史を専門的に勉強したこともないし、持っている知識にしてもたかが知れている。さらに、歴史を専門に研究する人々が歴史上の「事実」に関してその真偽をどんな基準で判断しているのか、よくわからない。
当然だが歴史は自然科学とは異なる。自然科学なら必ず観測・測定可能な物体なり現象なりで一つの仮説が証明されうる。一定の条件と手段さえ整えばある予測された結論(素粒子論やカオス理論によって導き出される確率的な分布を含めて)が繰り返して検証可能である。しかし人間は自然界の物質とは異なり、物理的・受動的に反応すると同時に、「意図」を持って行動し「意図」を持って物事を創造しうる能動的な主体である。
あなたは5セントと1917年に何を買うだろうか?歴史を、あたかも意図を持たぬ(持ったとしても反射的・一時的な判断程度の)機械人形が、「歴史法則」や経済原則、地理的要因などによって受動的に動かされるプロセスであるかのようにとらえて、それを「客観的な歴史的事実」などと主張することは本質的に誤っているように、私には思える。少なくともこれは科学的な態度とは言いがたいのではないか。観察者自身もその対象も「意図」を持った能動的な人間である、という自然科学とは根本的に異なる条件を無視しているからだ。
上記のような人が陥る「偶然史観主義」とでも呼ぶべき「偶然に起こった出来事を人間が利用して歴史を作ってきた」などという考え方は、私には単なる知的不誠実=似非科学としか見えないのだ。(具体的な批判例は『(5)「メイン号事件」についての、日本におけるさまざまな反応の実例』の中で展開させていただく。)
もちろん自然科学流の「繰り返しての検証」は原理的にできない。一つの仮説を元に将来を予測したとしても、当事者が意図的にその行動を変えてしまう場合には仮説の検証自体が成立しない。また物証が意図的に消滅させられあるいは隠匿された場合、その検討は不可能となる。あるいは意図的に「物証」が捏造された場合は検証自体が無意味になる。例えば「メイン号事件」に関して、万一新たな資料が発見されたとしても、その資料自体の真偽がどう判断できるのか。
イタリア・ルネサンス期のロレンツォ・ヴァラが「コンスタンティヌスの寄進状」(ローマ教皇領の根拠とされた)のでっち上げを見破ったような例はある。しかしすでに千年間以上の既得権益となった教皇領が奪われることは無く、時すでに遅し、である。そしてこの件は、いかに重大な「物証」捏造が意図的に行われうるのか、の実例でもあるのだ。
人間の歴史にはこのような「嘘の上に成り立つ事実」もあるだろうし、逆に「事実に基づいた嘘」もありうるだろう。歴史の「真実性」と自然科学的な方法論における「真実性」とは、重なる部分と同時に、本質的に異なる多くの部分を含んでいるものではないか。
再度申し上げるが、人間は物理的・受動的に反応すると同時に、「意図」を持って行動し「意図」を持って物事を創造しうる能動的な主体である。ある出来事に関して「何が真実か」は、その出来事と、その前後に続く一連の物事との間に貫かれる「ある意図」を検出することによってもまた、明らかにされうるのではないか。もちろん私はこのような方法を慎重で十分な調査と照合が不足したまま適用した場合の危険性は重々承知している。
当然だが、「全能の神(悪魔?)のような陰謀主体」を想定して、すべてをそこに演繹的に帰結させるような考えは単なる知的怠惰であろう。このような考え方は要するに一神教的世界観のグロテスクな変形に過ぎない。従って例えば「ユダヤ人が何百年も前から仕組んできた陰謀」であるとか、「フリーメーソン」「イルミナティ」等々に、様々な現象を結び付けて説明して「事足れり」とするような態度にも、私は「偶然史観主義」と同様に強い違和感を覚える。
この世に陰謀、謀略、だまし、やらせ、詐欺、でっち上げ等々が存在するのは当然なのだが、あくまでも人間の世界は多元的・相対的・流動的でしかなく、どのような陰謀主体も無様につぶれることもありうるし途中でその意図を変更させざるを得ないこともあろう。陰謀・謀略を練る者が意図を持った人間であり、それを見破って打ち破ろうとするのも、すべてが意図を持った人間だからだ。
したがって、先ほど述べたように「何が真実か」は、その出来事と、その前後に続く一連の物事との間に貫かれる「ある意図」を検出することによってもまた、明らかにされる可能性がある、と私は思う。歴史を一枚の織物として、物理的・地理的要因を「横糸」とすれば、人間(注意!歴史の登場人物および歴史を記述する人物の双方!)の主体的な意図が「縦糸」、というように見て、その双方の「糸」の表面と裏面でのつながりを見抜いていく中で「何が真実か」が発見可能ではないか、と思う。
このような見方に関して、専門的に歴史を研究される方から厳しいご批判を受けることは覚悟しているが、「歴史」があくまでも人間の歴史であり、「歴史の記述」があくまでも人間の思考の産物である以上、以上のように考えざるを得ない。19世紀段階の自然科学を中途半端に真似しただけの「普遍的で客観的な歴史的事実」など、「天地開闢6千年」のキリスト教原理主義の歴史観同様、私とは無縁である。
ではこの「メイン号事件」の場合、具体的にどのように見ることができるだろうか。
(4)メイン号事件とその後の歴史についての検討
● 少なくともスペインにはアメリカと戦争をする理由は無かった。というよりも、する実力も気力も無かった。現在のアメリカとフセインのイラク以上に力の差があったかもしれない。こんなときに戦争を自ら誘発するような愚行を犯すことは、いくらスペイン人が向こう見ずでも、100%ありえない。
前述のように、戦争への強烈な「意図」を持っていたのはアメリカの方である。すでに何年も前からキューバ・フィリピン強奪の準備を初めていたのだ。しかも100%勝てる。あとはきっかけと名目が手に入ればよい。そして、先ほどの米国海軍の資料によると、「キューバでの不測の事態を恐れた船長が米兵の上陸を許可しなかった」とある。どうやら語るに落ちたようだ。その上陸足止めのせいで犠牲者の数が大きく膨らみ、その結果、戦争へ大きく弾みがついたのである。「在留米国人保護」で派遣された軍隊が「不測の事態」を恐れるか? 「不測の事態」から「在留米国人」を保護するのが彼らの任務ではなかったのか?
それともやはり偶然の事故を上手に利用しただけであろうか。「たまたま戦争やる気満々のときに、たまたま兵士を足止めしたところに、たまたま弾薬庫の隣にあった石炭の自然発火がたまたま起こった」ということか? しかしこれほど続くことを「たまたま」というだろうか。そして事件後に登場したのは、「相手が悪い=我々は正義である」「我々は被害者だ=復讐する権利がある」という盛大な声である。
国内世論を戦争に誘導し反対派を封じ込め、さらに国際世論を戦争容認へと導くのに、これほどに便利な口実はあるまい。ジャーナリズムが愚かな大衆を大がかりに扇動して駆り立て、「内外の世論に支持されて」という開戦パターンは、この19世紀の終わりに大成功を収めた。しかも「正義の味方アメリカ」の自尊心は愛国心として、その後徐々にだが着実に国民の意識の中に根付いていく。そしてこの米西戦争こそが、アメリカの帝国としての「初体験」の勝利だったのだ。
これは「たまたま」がたまたま続いた結果なのか? それともアメリカの戦争へと向かう意図によって貫かれた一連の出来事なのか? どっちだ?
「同国民の犠牲」が勝利をもたらした例は、実はそれ以前にもある。1836年の対メキシコ戦争でテキサス強奪のきっかけを作ったアラモの砦での189名の討ち死にである。アメリカ政府が援軍を送らず見殺しにした、という説もある。しかしジョン・ウエイン主演の映画「アラモ」では「自由を守る聖戦」としてのアラモの戦いが描かれている。このときにアメリカ国民は叫んだ。「リメンバー・アラモ!」と。そして今「リメンバー・ザ・メイン!」。
「何たる不謹慎な!一国の政府の偉い方々が自国民を犠牲にしてそんな演出をすると疑うなど、とんでもない!」と無邪気・無条件に確信する超お人好しの田吾作はともかく、通常レベルの判断能力を持つ人間なら、まず対スペインの開戦理由を意図的に作り上げた可能性を疑ってみるのが自然ではないだろうか。
一万歩譲ってこれが本当に偶然の重なりだったとしてみよう。歴史上このような例が後にも先にもただ1回だけなら、それも否定はしない。「偶然」とは「確率的にほとんどありえないこと」を言うのである。ではその後の歴史経過をざっと見てみよう。もう散々言われ尽くしたことばかりだが、念のため。
● 米西戦争の結果、帝国の仲間入りを果たしたアメリカがその次に直接に行った対外戦争はもちろん第1次世界大戦である。1914年にバルカン半島の危機が導火線になって爆発したこの戦争は、ドイツ=オーストリアと英仏が消耗ばかりでちっとも進まない塹壕線の果てに双方ヨレヨレ(イタリアは最初から3国同盟からトンズラ、ロシアは革命で途中リタイア)になった時を見計らって参戦したアメリカの「一人勝ち」に終わった。さてどのような経過でアメリカが参戦を決めたのか。よく知られていることだが、念のために簡単に説明しておこう。人間、一度味を占めたら失敗するまで何度でもやってみたくなる。これが人間の本性なのだ。
大戦開始の翌年、1915年5月のことである。ニューヨークから出発したイギリスの客船ルシタニア号がアイルランド沖で、ドイツの潜水艦Uボートの魚雷によって沈没し、1198人が死亡、内128人がアメリカ人であった。
当時、ドイツはイギリスを海上封鎖するためにUボートをイギリス周辺に配置し、英国船舶に対する撃沈の警告を行っていたのだ。しかしドイツにはアメリカと敵対する意思は無かった。イギリス周辺でアメリカの船のためにUボート攻撃をしない航路を用意していたのだ。(これがイギリスの高校生用の教科書にも書かれてあるのを私は確かめている。)
実はこの英国客船には、アメリカからイギリスに運ばれる銃弾などの戦争用の物資が大量に積まれていたのである。言ってみれば、乗客を盾にして軍需物資を輸出していたのだ。このような物資の輸出には軍当局の許可が必要であった。そしてそのようなことは政治判断でのみなされる種類の事柄である。つまり米英政府ともこの積荷のことは承知していたはずである。そしてドイツはこの情報をキャッチしており、このような英国船を狙うのは当然だった。
それとも英米当局者が何の情報能力を持っておらず、一切の危険性を考えずにUボートのうろつく海域に突っ込ませた、とでもいうのだろうか。そんな馬鹿が一国を統率できる、と本気で思えるのだろうか。そして再び盛大な叫び声。「相手が悪い=我々は正義であ〜る!」「我々は被害者だ=復讐する権利があ〜る!」。
テニスはどのように発信されましたか?「ドイツ撃つべし」の機運がアメリカを覆ったが、今回はアメリカ政府(大統領ウイルソン:民主党)は慎重に2年間待った。(田吾作的解説では、米西戦争の際のマッキンリー同様に、「平和主義者ウイルソン」は戦争に反対し参戦を躊躇していた、ということになるが。)その間アメリカは、多くの戦略物資を英仏に輸出し続けて戦争特需でボロ儲けし、次第に消耗するドイツはアメリカを敵視せざるを得なくなる。
当然だが、アメリカはその間に状況を把握・分析しながら参戦準備作業を整えていく。(長期にわたる準備、慎重な分析と計画無しで大掛かりな戦争ができる、などと本気で考えるノーテンキな薄ボケた言い分など、この際無視する。)
そして1917年、ドイツがついにUボートによる無差別攻撃を宣言し数せきの米船が被害を受けるに及んで、「内外の世論に押されてやむを得ず」という形式を整えた上で、戦場にならなかったイギリスはともかく、フランスとドイツがボロボロに消耗し切ったタイミングを狙って、参戦を決定したわけである。もちろん自分の被害は、国内の反戦世論が盛り上がらない程度に、最小にできる。そして必然的に大戦後のアメリカ経済による欧州支配が決定的となる。(高校の世界史を勉強した程度の人でもこの点は理解できるはずだ。)いずれここからブッシュやハリマン、ロックフェラー、ワーバーグなどを含む米英ユダヤ資本の庇護を受けたナチス・ドイツが育っていくのだが、ここではそこまで述べる余裕は無い。
これも「たまたま」がたまたま続いた結果なのかな? それともアメリカの戦争へと向かう意図によって貫かれた一連の出来事なのか? さあ、どっちだ?
● 第2次世界大戦のアメリカ参戦のきっかけとなった真珠湾攻撃に関しては、様々な方面から言われ尽くされていることであり、私がいまさら詳しく言うまでもあるまい。これもまたいろんな「たまたま」がたまたま積み重なっているようだネ。オモロイ話や!「ハル・ノート」はともかく、駐米大使が「たまたま」ボケーッとしていて宣戦布告が遅れた、とか、「たまたま」日本軍の動きがハワイに伝わっていなかったとか、「たまたま」休暇で「たまたま」ポンコツ戦艦が真珠湾に標的のように並んでいた、とか、「たまたま」最新鋭の強力軍艦がハワイから離れていたとか、・・・。再度再度、「相手が悪い=我々は正義であァァ〜る!」「こちらは被害者だ=復讐する権利があァァ〜る!」「リメンバー・パールハーバー!」
再度再度「たまたま」がたまたま続いた結果なのかな? それともアメリカの戦争へと向かう意図によって貫かれた一連の出来事なのか? さあさあ、どっちだ!
ベトナム戦争へのアメリカ介入のきっかけとなったいわゆる「トンキン湾事件」に関しても例外ではない。1964年8月2日、米駆逐艦マドックス号が北ベトナム沖のトンキン湾で『国籍不明の(?)』魚雷艇3隻から攻撃を受けた、という例のヤツだ。さらに湾岸戦争の原因と言われるイラクによるクェート侵攻に関しても同様である。ただしこれは、軍事衛星でイラク軍の動きを逐一確認しつつ(当然スパイからの情報もあったはず)、意図的に突っ込ませた、典型的なヤラセだろう。
またまたまたしても「たまたま」がたまたま続いた結果なのかな? それともアメリカの戦争へと向かう意図によって貫かれた一連の出来事なのか? どっちだ!どっちだ!
●アメリカが対外戦争を起こすときには、なんか知らんが、必ず「オモロイ事」が起きるのである。そういえば、アフガニスタンとイラクへのアメリカの軍事介入の前にも、やはりまたまたたまたま「オモロイ事」が起きたようだ。
「たまたま」米国内でのテロリストのチェックが甘くなって、3つの空港でカッターナイフを持った19人のテロリスト全員が「たまたま」チェックできなく、セスナもロクに操縦できない人間が「たまたま」大型旅客機を操縦することができ、あの小さな目標にピンポイントで「たまたま」命中させ、しかも「たまたま」3つ続けて成功、さらにそのとき「たまたま」訓練が行われていて、「たまたま」米空軍の機能が混乱していて「たまたま」スクランブルが遅れて、・・・、そして?
何??パールハーバーがどうした?ブッシュ何言うたって?ウム!確かにこれはパールハーバーだ!新聞テレビは大はしゃぎ!さあ戦争だ!戦争だ!
ネオコン大喜び!軍需産業大喜び!傭兵派遣会社大喜び!アメリカ人ノーミソ・スポンジ !日本人痴呆状態!「相手が悪い=我々は正義であァァァる!」「こちらは被害者だ=復讐する権利があァァァァる!」!
・・・、ン?
● 再度繰り返そう。人間は「意図」を持って行動し「意図」を持って物事を創造する主体である。歴史の「縦糸」は人間の意図によって貫かれる。情報や物資の伝わる速度が馬の走り以上にはならなかった18世紀以前はともかくとしても、近代以降の戦争で明確な意図を持たずに偶然に起きた戦争がいくつあったのか。革命戦争を含め戦争が政治の延長である以上、物的条件の準備段階からきっかけ作り、大衆動員の仕方、終結と戦後処理にいたるまで、少なくとも数年間以上にわたる一つの強烈な意図によって貫かれ準備され推し進められることは言うまでも無い。
今や明々白々であろう。「メイン号事件」こそ、アメリカの「戦争への意図」によって起こされた爆破・沈没事件、つまり、アメリカによる「謀略テロ第一号」である。そしてスペインはその「テロ被害者第一号」なのだ。これがアメリカ帝国の「初体験」であり、その「オルガスムス」を、以後少しづつ手を変えながら繰り返すことになる。その延長上に9.11がある。そして今回の「テロ被害者」は世界のイスラム教徒である。
もちろん今までに述べた出来事はそれぞれ異なった面を持っている。「メイン号事件」は深夜の闇の中で行われた隠密的テロで「民間」による「犯人指名」に乗っかったもの、「ルシタニア号」と「パールハーバー」は自ら仕掛けて相手に汚名を着せるでっち上げ奇襲、「トンキン湾」は恐らく襲撃情報のでっち上げ(決定的ではないが)、イラクのクェート侵攻は暗に承認して(あるいは故意にそそのかして)のヤラセ奇襲、そして9・11は白昼堂々の謀略テロで首脳陣自らが「犯人指名」をした、といった具合だ。すべてに共通するのは、戦争への動機付けと自己合理化に向けたマスコミ=ジャーナリズムの多大なる働き、そして、何よりも米国指導部による一つの強烈な「戦争への意図」が貫かれていることであ� �。もはや晴天白日のごとく、であろう。
●9.11が「アルカイダ」の仕業なら、自動車運転免許取立ての初心者ドライバーがF1グランプリで3回立て続けに優勝してセナが化けて出るだろう。知識人を自認し、なおかつ9.11が「アルカイダ」の仕業と主張するのなら、いっぺんF1レースに参加して優勝して自分の説を「実証」していただきたいものだ(笑)。恥を知るがよい。あのようなトンデモを臆面も無く無邪気に信じる、単なる『洗脳されて脳細胞を破壊された田吾作』は、もはや笑いものでしかない。このような輩を『痴職人』あるいは『恥色人』と言う。
2001年9月11日にニューヨークで起こった物理的な事実を何一つ自ら調べようともせず、米国当局による物理的証拠の大規模破壊行為を弁護し、事実を無視して覆い隠し、何一つさしたる根� ��も無しに「アメリカ大統領様」と「アメリカのテレビ局様方」「アメリカの新聞様方」「アメリカの評論家様方」の言うことを神のお告げのごとく信じ込み、NISTのマンガ「科学」者が言いふらす天動説やルイセンコ学説未満のトンデモ似非科学を絶対と信じ込み、また他人に信じ込むことを強要し、事実を冷静に見ようとする者を「陰謀論者」「反ユダヤ主義者」として狩り立てるこの種の『痴職人』の横行は、スターリンやヒトラーの時代を世界規模で繰り返すものであろう。もっと悪質かもしれない。右も左も関係ない。
どこかから金でももらって故意にデタラメを世間に広げる者ならともかく、あんなトンデモ陰謀論をやすやすと信じ込む人間の薄ボケた意識こそが、私の最も危機を感じるところなのだ。そしてそのような「馬鹿が極悪人を支える民主制度」にも同様の危機を感じざるを得ない。制度の良し悪しの問題ではないのだ。「民主制度」はヘタに扱うと「薄ら馬鹿が極悪人を支える」ための最も効率の良い制度ともなりうるのである。ヒトラーもここから出てきた。
「上の極悪人」をなくすためには、この「下で支える馬鹿」が賢くなる必要があるが、そのためにはこの「馬鹿」を拡大再生産するために活動する『痴職人』どもを排撃しなければならないのだ。人間の内側から変わらない限り世界は変わらない。『脳細胞を破壊された田吾作痴職人』追放は「上の極悪人」追放の必須条件なのだ。
(5)「メイン号事件」についての、日本におけるさまざまな反応の実例
●最後に、この「メイン号事件」に関連する日本人のいくつかの反応例を挙げておこう。例えば次のページに行っていただきたい。
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フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 米西戦争
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ウィキペディアには調べごとでいつもお世話になっているので(特に英語版)あまり文句は言いたくないのだが、歴史や人物関係の記述には時折「あれ?」と首をかしげざるを得ない記事がある。この百科事典は一つの記事を担当した人の「個性」が出ざるを得ないため、ますますそのようになるのだろう。運営者自体がそれを好んでいるようにも思える。
「歴史的事実」はそれを語る人間の真実を映し出す鏡である。この情報を作った人(個人だかグループだかは知らないが)は典型的な「日本的知識人」とみえて、大樹の陰に群れ集う『脳細胞を破壊された田吾作痴職人』ぶりを大いに発揮してくれている。
それは例えば、『マッキンレー大統領は開戦に同意せず世論に対して長い間持ちこたえた。しかし、メイン号の爆発は、戦争への世論を非常に強力に形成した。』という部分に涙ぐましいほどに現れている。一方で同じ著者が『海軍は開戦の一年以上前にフィリピンでスペイン軍を攻撃するための計画を作成していた。・・・』等、アメリカがいかにスペインからの植民地強奪を熱望していたのか、を書いているわけだ。自分の言っていることの筋道くらい通したらどうなのか。マッキンレーの意図がどうであるのか、は明々白々であるにも関わらず、「世論に抗しがたくやむなく開戦の決意をした平和の大好きなマッキンレー大統領」を実に麗しく描いてくれているわけだ。
さらに『4月20日に戦争の宣言をさかのぼらせ』そして『5月1日のマニラ湾の戦い』と書かれているわけだが、まさか、大規模な戦闘の準備と遠隔地への派兵、実行が10日かそこらでできるとでも思っているわけでもないだろうに。どうして先にフィリピンなのか、何も説明されていない。まあ、どのみちできっこないだろうが。やったら自分が言っていることのボロが一目瞭然に出てきてしまうから、ここは口をぬぐって知らん顔を決め込んでいる。
(そういえば、9・11が起こってから1ヶ月ほどでアフガニスタン攻撃が始まったが、あらかじめ1年以上をかけて計画を立て準備をしておかない限り不可能である。イラク戦争でも8ヶ月前には米国と英国の間で合意ができていた。そして米国ではそのはるかに以前か� �計画が進んでいた。大規模な戦闘行為が1ヶ月やそこらで決定できるなどと考える薄ら馬鹿を相手にしてもしょうがない。)
また『したがって、マッキンレー大統領は4月11日に内戦の終了を目的としてキューバへアメリカ軍を送る権限を求めるために、議会にメッセージを送った。』とあるが、「内戦の終了」が一体何を意味するか理解できないのだろうか。
必然的に、メイン号の爆発・沈没に関してどう言うかは、もはや見るまでもあるまい。『大部分は、燃料の石炭の偶然の爆発が適当な理由と考えており、コンピューター・シミュレーションによってこれを確認している』そうな。多数決(群れたがるメダカ)と権威(寄らば大樹の陰)と横文字(それも何となく理科系的な)に弱い『文科系田吾作受験優等生』ぶりを存分に発揮している。米海軍の資料でさえここまでは言っていない。この手合いの『痴職人』こそが、ジャーナリズムの扇動に簡単に乗せられてしまう「薄ら馬鹿」を拡大再生産させるのだ。
(そういえば、9・11でもNISTが一切の実験結果を無視してコンピューター・シミュレーションだけでツインタワーや第7ビルの「崩壊原因」を語っている。なぜか� � 言うまでもなく、実験の結果が《火災による崩壊》を否定するものだったからだ。そしてこの種の『痴職人』たちはそれを無条件に礼賛する。)
さらに戦争の数年前からその「イエロージャーナリズム」に多くの情報を提供して反スペインの論調を盛り立てた黒幕の存在の可能性についてすら触れない。「偶然史観主義者」が、いかに世間の人間を愚かな上にも愚かにするために派遣されてきたのか、が非常によく分かる。このような輩は、現代の「イエロージャーナリズム」が一目散に世論誘導に走る事実を理解できているのだろうか。
(そういえば、米国の各TV局は2001年9月11日の朝、まだブッシュが何も言っていないときから「ビン・ラディン!」「アルカイダ!」を叫んでいた。事前の準備を打ち合わせ無しでTV放送が可能だと思う方がどうかしているのだ。)
そしてその上で、『ほとんどすべては、スペインが戦争の刺激に興味を持たなかったことに同意する』ときたもんだ。この戦争の「被害者」であるスペインに対して「物分かりの良いところ」をチラつかせているわけで、スケベ根性だけは有り余っているようだ。まさに『恥色人』であろう。
(「9・11イスラム・テロ」を他人に強要しながらイスラム教徒に部分的に同情してみせる類の連中は今日いくらでも見ることができる。)
この手合いの『脳細胞を破壊された田吾作痴職人』が、例えば9.11に関してどんなことを言い出すか、もはや説明の必要もあるまい。「右」も「左」も関係ない。どっちも『痴職人』なのだ。
●続いてもう一つの典型を見てみよう。これは9.11のすぐ後に書かれたもののようだ。
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ウエーヴ・ザ・フラッグ『アメリカの戦争はこうして始まった』
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「歴史的事実」はそれを語る人物を映し出す鏡である。この著者の『脳細胞を破壊された田吾作痴職人』ぶりは、前のページのものより一段とすばらしい。9.11の直後にこれと、メイン号事件、ルシタニア号事件、パールハーバー、トンキン湾事件を次々と取り上げながら、一つ一つの出来事から『最大当事者の意図』だけを「意図的に」きれいさっぱりとそぎ落とし、結論として何を言い出すか。
『これらの「戦いのはじまり方」を一覧すると、仕掛けられたか偶発事だったかはともかくとして、ドラマティックなイヴェントが、地球上で自らの地歩を固めていく、アメリカの戦争の引き金にたびたびなってきたことだけは確認できる。』だそうな。ここまでくればご立派である。『痴職人』というよりは『痴呆人』と言った方が似合っている。何十万人、何千万人の人命が犠牲になる戦争を、『仕掛けられたか偶発事だったかはともかくとして』などと涼しい顔をして言うことのできる感性はむしろ冷酷というべきだろう。
一つ一つ見ていってみよう。まず「メイン号事件」である。『当時のキューバはスペインの統治下にあったが、これに抵抗するキューバ人の反乱が起こっていた。アメリカ国内では、同情が高まり、なんらかの手を打つべきだという声が上がっていた。』だと。受験参考書の方がはるかにまともだ。たまたま手元にある古い「チャート式シリーズ世界史B」には『甘蔗栽培のために大量の資本をキューバに投資していたアメリカは、キューバの独立軍を援助してスペインと開戦した。』と書いてある。要するに高校生の知識も無い著者のレベルが恥ずかしげもなくむき出しになっているのだ。
『しかも、外部からの機雷による爆破だと、アメリカ海軍の調査委員会が発表し、』これは明らかに間違い。不勉強の見本。そして1976年に石炭自然発火説を主張したハーマン・リッコーヴァに関しては『この人物は、カーター大統領が海軍士官時代にもっとも尊敬し影響を受けた軍人である』と田吾作ぶりを遺憾なく発揮している。偉い米国大統領様が尊敬するのだからきっと偉い人に違いない、こんな偉い人の言うことなら間違いはあるまい、と言いたいわけだろう。へたに文章など書かずに隠居部屋で猫と遊びながらお茶でもすすっていた方が貴方には似合っている。
「ルシタニア号事件」の記述はもっと傑作である。『ほとんどの人が、こうした事情に注意を払わなかった。だから警告に応じて他の船に乗り換えた人もいなかった。公海上で旅客を乗せた船が爆沈させられるなど、当時の常識ではまったく考えられなかったのである。』らしい。ところでその「ほとんどの人」には政府関係者、情報機関、軍関係者も含まれていらっしゃるのかな? 『この客船には、銃弾などの戦時禁制品が大量に積まれていた。』と御自分で書いていらっしゃるのだが、まさかまさか、これらの人々がこの船の出港を知らなかったわけでもあるまいに! さらにウイルソンの「平和主義者」ぶりに熱烈な賛辞を贈っているところなど、ほほえましい限りであろう。
パールハーバーに関しても、トンキン湾事件についても、この著者は『こうして、ローズヴェルトが、世論を自分の側に引きつけるために、奇襲に見て見ぬふりをした、との推定が成り立つのである。』『しかし、魚雷攻撃がほんとうにあったのかどうかについて、なお結論が出ていない。また、この事件に関わらず、ジョンソンはすでに戦争拡大の準備をしていたことが明らかになっている。』と、こんなときばかりは「客観的な見方」を重視するふりをして、巧みに自分の判断を避けている。
その上で結論として、『仕掛けられたか偶発事だったかはともかくとして』と来たもんだ。これは、個々の「事件」の原因から最大当事者である米国指導者の「意図」をスッポリと消し去って、「原因もいろいろ」「戦争もいろいろ」という「偶然史観論者」の巧みな言い逃れを見事に表現したものであろう。
●ところで阿修羅では、すでに2000年の段階でこの「事件」に関連して次のようなすばらしい投稿が見られる。引用の英文記事もお読みいただきたい。
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投稿者 佐藤雅彦 日時 2000 年 10 月 18 日 05:27:53
『股もチン奇な戦艦激チン事件で戦争勃起かよ〜』
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まるで1年後の9.11を見通していたかのようだ。タイミングといい、その美しい表現といい(佐藤さん、すいません!)、敬服する限りである。私も口汚い方だが、これには負けた!
さらに佐藤雅彦氏はその3年後、イラクでの国連施設爆破「テロ」に関する阿修羅投稿の中で、再びこの「事件」を取り上げておられる。
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投稿者 佐藤雅彦 日時 2003 年 8 月 31 日 19:19:34:
『占領下イラクの国連施設爆破「テロ」に、半世紀前の占領下日本で起きた「国鉄3事件」の悪夢を見た』
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佐藤氏は『脳細胞を破壊された田吾作痴職人』撲滅のために努力する知識人の一人だろうと思う。日本人の民度を上げるためにはこういった知識人の活躍の場が保障されなければならない。当然、「薄ら馬鹿が極悪人を支える」民主制度を守ろうとする極悪人どもはこのような知識人を敵視し、『脳細胞を破壊された田吾作痴職人』擁護に全力を尽くすだろう。「個人情報保護法」などはその好例である。
●「メイン号事件」はイラク戦争に至るまでのアメリカ帝国の出発点である。イラク戦争が泥沼に陥り、アメリカ自身が「撤退」のタイミングを云々せざるを得なくなっているこの時期に、その「出発点」を再度確認しておくべきだろう、と思ってこの記事をしたためたまでである。他意は無い。
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