誰がクリルを最初に発見したのか?: The Voice Of Russia
在ロシア日本大使館のサイトでは、両国の領土紛争を取り扱った興味深いコーナーがある。そこでは、シコタン島、クナシル島、イトゥルプ島およびハボマイ群島は、日本人が最初に発見した島であり、それゆえ日本固有の領土であると述べられている。面白いのは、尖閣諸島や竹島についても、日本の公式見解が同じことだ。しかし、中国や韓国はそれに同意しておらず、ジャオユイダオおよびトクトを最初に発見したのは日本人ではなく、それぞれ中国人と韓国人であるとしている。その論争は長く続いているが、双方が昔の文書や地図を持ち出し、お互いを非難している。それはすぐに肩がつくようなものではなさそうだ。
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ひげを生やしたモスクヴィチノフは、同じくひげを生やしたアイヌ人たちによく似ており、アイヌ人たちはロシア人を「兄弟」と呼ぶようになった |
そして最も興味深いことに、上記の日本大使館のサイトでは、南クリルを最初に発見したのが日本人だということの証拠はなにも掲載されていない。単に「歴史的事実」と言うわけだ。ではクリル諸島の発見とその開発に関するロシア側の見方はどうなのだろうか。
16世紀末から当時ユーラシアの中心に存在していたロシア国家に属するロシア人は、急速に東に拡大し、シベリアの土地を征服していた。一方で16世紀末にかけて本州全体にいきわたった日本人は北海道に目を向け、北部にはアイヌ人たちが生活していた。
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日本人による最初の北海道探検は1635年に行われ、当時アイヌ人たちが生活している土地だった。アイヌ人たちから日本は、さらに北に島々があることを知ったのだった。しかしアイヌ人たちの抵抗にあった日本は、そこまで手を伸ばすことは出来なかった。
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一方で1639年、イワン・ユーリエヴィッチ・モスクヴィチノフが指揮するロシア・コサック隊は、オホーツク海に達していた。1646年ロシアのツァーリであるアレクセイ・ミハイロヴィッチに提出された報告書では、モスクヴィチノフのコサック隊はサハリンを調査し、クリル諸島にも滞在したことが明らかになっている。ちなみに、「クリル」という名称は、アイヌ語で「どこからともなく来た人」をさす「クル」という単語からきている。モスクヴィチノフ一行はそこから、島々に住んでいたアイヌの人びとを「クリル人」と名づけ、それが今日まで続いているわけだ。
ひげを生やしたモスクヴィチノフは、同じくひげを生やしたアイヌ人たちによく似ており、アイヌ人たちはロシア人を「兄弟」と呼ぶようになった。モスクヴィチノフの探検隊に同行したヤクートのコサック、ネハロシコ・イワノヴィッチ・コロボフの話では、「それらのひげを生やした人々はロシア人を自分たちの兄弟だと名づけた。」とされている。その話は、アレクセイ・ミハイロヴィッチに提出された報告書のなかで引用されている。
モスクヴィチノフのコサックらは、クリル諸島に自らの入植地を設け、その情報はオランダやドイツ、スカンジナビアの地誌や地図で見受けられる。
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